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「台湾という来歴」への視角と“方法的「帝国」主義”

 「台湾とは何か?」という地域研究者としての台湾研究者の基本的な問いに応答する一つの方法として、「台湾という来歴」から考えたい、ではその「来歴」を捉えるにはどのようなアプローチをしたらよいのか、この点についての考えを、右往左往の痕跡を残してしまってもまあ仕方なし、という緩いスタンスで綴っていきたい、そう思って始めたブログである(*)


 これまで「ご挨拶」も含めて7回分書いてきて、今年1月の早稲田での講演(“「台湾という履歴」への視角————代わり/代わる「帝国」の「網」と「鑿」”)に比べれば、議論のレベルの整理が幾分進んだのではないかと思う。これまでの7回分を自分で読み返して、ここらで一度まとめをしておくのが良いだろう。

「台湾という来歴」への視角の三本の柱

 読み返してみると、“方法的「帝国」主義”という言い方にすでに混乱が生じそうになっていて、それを避けるために、“方法的「帝国」主義”(広義)と“方法的「帝国」主義”(狭義)という言い方をしている。まず、これを改めたい。

 ブログ6「地理はモノを言う」では、<“方法的「帝国」主義”の三つの側面>という提起の仕方をしているが、これを<「台湾という来歴」への視角の三つの柱>という提起の仕方に改めよう。つまり、“方法的「帝国」主義”に「広義」と「狭義」とがある、という言い方をやめる。

 その上で、その三本柱を確認しておくと、第一の柱は、「台湾は諸帝国の周縁である」との視座で、ブログ4「台湾史は世界史である」との言い方とともに論じた。今、振り返ってみれば「○△史は世界史である」との一般論の、台湾ヴァージョンが「台湾は諸帝国の周縁である」との命題となると言って良いだろう。「来歴」論的台湾地域研究論の基本視座である。

 第二の柱は、ブログ5“「帝国」の「網」と「鑿」ver.2とブログ6で論じ、ブログ6に「概念図 “方法的「帝国」主義”」として図示した一連の視角である。ブログ6では、この“「帝国」の「網」と「鑿」”という視角を中核とした視角を、狭義の“方法的「帝国」主義”としているが、以後「狭義の」は付けずに、“方法的「帝国」主義”の語はもっぱらこの一連の視角そのものに振り分ることとしたい。

 第三の柱は、「諸帝国の周縁を生き抜く」というフレーズが含意する、「代わり/変わる帝国」という歴史構造にもかかわらず、台湾という土地に生き続ける人々の視座である。ブログ7「諸帝国の周縁を生き抜く」では、これを「“方法的「帝国」主義”の第三の柱」と書いたが、“「台湾という来歴」への視角の第三の柱”に改める。これは、第一の柱、「台湾は諸帝国の周縁である」の基本視座と対になる視座である。第一の柱が、台湾にとっての「代わり/変わる帝国」の出現の世界史をどう捉えるかという課題(「台湾史は世界史である」)を突きつけるとすれば、第三の柱は、「代わる帝国」という事態においても前「帝国」とともに台湾という地を去ることはない非国家主体をどのように“方法的「帝国」主義”の視角の中に収めるかという課題を提起するものとなる。これは結局「帝国の鑿」の歴史社会学の中で、台湾での国家の行動をとらえるたまの概念を非国家主体との相互作用を読み込むことのできるものにしなければならないことを意味する。

“方法的「帝国」主義”

 ブログ6に掲げた「概念図 “方法的「帝国」主義”」も、再検討すると、あれこれ考え不足のところが見つかったので、次の「概念図1」のように作り直した。図のAからDの展開について、若干のパラフレーズを行っておく。

 A:東アジアにおけるパワーバランスの変動が目立ってくると、台湾島の地政学が前景化される、つまりは「地理(台湾は西太平洋アイランド・チェーンの中央+中国大陸東方の近傍島嶼)がモノを言い」、経済的には対外交易の様態が変化し始め、政治的にはパワーバランスの不安定を決着する戦争が発生しその結果により台湾の国際的身分が変更される。こうして台湾という地域にとっての新たな帝国が登場し、その在台機構が設置される。

 B:台湾がある帝国の地理的身体に包摂されると、その帝国が形成する東アジア地域秩序の台湾と帝国およびその他の世界との間の人、モノ、財、情報・知識の流れが形成される。また、その帝国において新たな台湾のイメージが形成されていく。一方、この期間、世界史の別の現場では次の時代に東アジアのパワーバランスを変えることになる変動が起こっているかもしれない。その中で台頭してくるパワーが、台湾にとっての「次の帝国」となるかもしれない。これを「台湾という来歴」にとっての「外部過程」と称することとしよう。

 次に掲げる表は、前述「一月講演」の際にこの「外部過程」のコンセプトを例示するために示した歴史事象の整理表を、ここでの“方法的「帝国」主義”の用語法に合わせて修正したものである。一見してわかるように、これは「世界史」の高校教科書程度の知識を台湾に焦点を合わせて組み合わせた程度のものにすぎない。“方法的「帝国」主義”論にとっての課題は、この表を如何に問題発見的に思考していくかであろう。


整理表:「台湾という来歴」とその外部過程
  清帝国統治下 日本植民地帝国統治下 「アメリカ帝国+台湾の中華民国」の統治体制
「台湾という来歴」 「大清の平和」下の「伝統中国社会」の延伸 「大清の平和」の動揺→台湾統治政策の変更 「議会政治無き明治維新」、政治的台湾の形成 日本植民地帝国の戦争、敗北・崩壊 アメリカ帝国下の国民党一党支配体制の確立、輸出主導経済発展の成功 中華民国台湾化
「台湾という来歴」の外部過程の展開 産業革命、近代国民国家の形成清帝国地域秩序への挑戦(条約港体制の形成と周縁の浸食) 清帝国の崩壊、中国ナショナリズム・プロジェクトの起動、主要な担い手=中国国民党と中国共産党の成長//アメリカの勃興 中国内戦、中華国民帝国としての中華人民共和国の中国大陸統合の成功、しかし経済的低迷と政治的混乱 中国「改革と開放」の成功、「中国の台頭」、アメリカ帝国への対抗と挑戦
出所)若林正丈作成





































C:新たな帝国が台湾を包摂することになるとしても、異なった帝国(「代わり/変わる帝国」)は、帝国毎に世界史的性格を異にする。私は、近世の世界帝国としての清帝国、近代の国民帝国としての日本植民地帝国、中華民国、戦後の非公式帝国としてのアメリカ帝国、および現代世界のメガ国民帝国としての中華人民共和国を想定している。台湾にその力を投射するに当たって異なる帝国は異なる投射方式を持つであろうし、それによって国家・社会関係のリセットと再編成のプロセスも異なってくるであろう。

 D:こうして、帝国の「網」がその安定を担保する時空の中で、帝国の「鑿」が作動し、「代わる帝国」の幕間のコンティンジェンシーを経て、国家・社会関係がリセットされて、諸帝国の台湾における周縁ダイナミズムが展開し、それぞれの帰結がもたらされる。畏友呉密察氏との「学術雑談(學術聊天)」からヒントを受けて、極々単純化して言えば、清帝国下で「社会」ができ、日本植民地帝国下で「国家」ができ、「台湾大」の中華民国+アメリカ非公式帝国の秩序下で「国民」ができたと言える。「社会」ができたとは、台湾島の主として西部・東北部平原に「伝統中国社会」が確立したことを指す。だが、山地先住民族地域は清朝の統治終了時にも未統合であった。「国家」ができたとは、人籍/人口・地籍把握のシステム、司法・懲罰のシステム(警察、司獄、裁判所など)、規律訓練システム(保甲、学校教育など)といった国家の基礎構造の近代化が日本植民地統治下で遂行され、これらの成果が戦後の中華民国統治下に引き継がれたことを指す。「国民」できたとは、戦後の「台湾大」に縮小した中華民国統治下で、中国大陸の成立した中華人民共和国のそれとは別系統で、近代中国国民としての「中国人」への国民形成政策が精力的に進められ、国民党一党支配体制が民主化されて以後は、その「中国国民」を「台湾人」に読み替えるイデオロギーの準体制化が進んだことを指す。

 もう一点、こうした周縁ダイナミズムの繰り返しを、歴史的時間は「流れない、それは積み重なる」との視点から見ていくなら、「台湾という来歴」を形づくっている歴史の文脈は、あたかも諸帝国のバトンリレーによって形成されているが如く見える。概念図1には、①多重族群社会の形成と展開、②先住民族統治と複合社会の形成と展開、③漢人土地制度の形成と展開、および④学校教育と参政権制度の形成と展開とを事例として挙げている。この内、①は拙著『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』で議論を展開したことがあるので、“方法的「帝国」主義”の議論に沿ってその展開を図示してみた(概念図2)

 こうした周縁ダイナミズムの重なりが、「台湾」を形作る「来歴」を構成すると考えるのである。

 これで、一応外枠は描けた。次は、例証を入れながら、“方法的「帝国」主義”を構成する幾つかのコンセプトや視角を論じていかねばならない。これまで何度も挫折した、しんどい山道である。これは「自由帳」だと言い聞かせて歩いてみよう。

(*)もちろん、「台湾という履歴」でなくて「台湾という来歴」だの、“方法的「帝国」主義”だのの、持って回った議論をするのでなく、「台湾通史」の類いを書けばよいではないかとの考えもある。私自身と歴史学としての台湾史研究との関係や現今の台湾史研究の評価の問題はとりあえず脇においておくとして、直感的な判断だけを述べれば、台湾に関する学知、少なくとも日本の知識界における学知は、未だ地域研究的な開拓を必要とし、またここで試みているような「視角」設定による問題発見のプロセスないし作業が必要なのではないかと思う。

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by rlzz | 2018-10-15 15:19

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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