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台湾の歴史に「積み重なる時間」へのアプローチ


 周婉窈の概念図「地理的空間で歴史的脈絡を定義する」から出発して、「台湾研究自由帳」は、「台湾という来歴」の理解にとって、台湾の歴史に「積み重なる時間」をどう考えるかが切実な課題であること、その「積み重なる時間」が、台湾の時空に連続し折り重なる「諸帝国」の世界史的時間であり、またその対極的存在、すなわち「代わり/変わる帝国」によってもこの時空を去ることの無い非国家主体が、「諸帝国の周縁を生き抜く」時間でもあること、これらに思い至った。そして、諸帝国の活動が連続し折り重なりかつ非国家主体が「生き抜く」時間の積み重なりをとらえるための方法として、“方法的「帝国」主義”を提起した(ブログ8に修正・再掲した「概念図2」)。

 では、この“方法的「帝国」主義”においては、この「積み重なる時間」は、どのように観察されねばならないのか?「自由帳」では、「帝国」が周縁に投射するパワーには、「帝国の網」と「帝国の鑿」の二つの次元があり、前者は後者が、その「帝国」の「鑿」として作動することが担保される時空の存在を指し示すものであるとした(ブログ5: ver.2)。

 そうすると、この問いは、一方で、新たな「帝国の網」を台湾に被せていくことになる世界史を後景にして、その「帝国」の「鑿」がどのように作動していくことになるのかを観察するのか、という問いになり、さらに、その一方では、その後景としての世界史そのもの、つまりは周縁にとっての次の「網」が形成される、「台湾という来歴」にとっての「外部過程」としての世界史をどう把握するのか、という問いとなる。繰り返しになるが、後者では「帝国の興亡」に台湾がどのように位置づけられていくのかという国際政治経済学の、前者では国家(帝国の在台統治機構ないしエイジェント国家)と社会の関係のリセットと再編成の相互作用を見定める歴史社会学の、視角が求められるのであった。

 「台湾という来歴」において「積み重なる時間」を把握するには、この二つの視角を結合しなければならない。では、そのためにどういう問いを立てたらよいのだろうか。今、(A)1875-1905年(日本の近代中央集権国家の形成過程と同時代の清末の条約港体制下の台湾統治改革から台湾割譲、日本の在台統治機構確立まで)の時期および(B)1937-1955年(日本の戦争動員時期の統合強化時期、台湾「光復」、アメリカ帝国庇護下の在台国家=中華民国の統治体制確立まで)の時期、すなわち「代わり/変わる帝国」の二つの事例を念頭において考えてみると、次のような問いを立てることが必要と考えられる。

 ⑴後「帝国」が前「帝国」から台湾を引きついだ時、この後「帝国」はどのような性格の帝国であったのか?前「帝国」と後「帝国」との違いは何か?これについては、世界帝国としの清帝国、国民帝国としての日本植民地帝国、そして戦後世界の植民地無き帝国としてのアメリカの帝国システム、さらには、これらと清帝国の継承帝国である中華民国(挫折した中華国民帝国)と中華人民共和国(成功した中華国民帝国)との関係が追求されなければならないだろう。

 ⑵後「帝国」は前「帝国」からどのような台湾を引き継いだのか?つまりは、前「帝国」の台湾における周縁ダイナミズムとその帰結をどのように把握するのかという問題である。この三年ほど台湾史研究の文献あさり(恥ずかしながらほとんど二次文献、つまりはこの三十年の台湾史研究欠席を補う「悪性補習」)をしながら考えたところを敢えて述べれば、清帝国が日本に残したのは、三種類の台湾(①西部平原から東北部平地に広がる、平地先住民族をその中に埋没させた、農業を中心とする堅固な漢人社会、②未だ国家統治に服さない山地先住民族地域、そして③国家統治と漢人移住・開拓が及びはじめ、多族群的であった東部地域)であり、日本が中華民国に残したのは、政治的には一つの権力のもとに統合された台湾、しかし社会・経済的には複合的な台湾(漢人中心の一般行政区および山地先住民族の「理蕃行政」区域)であった。

 ⑶後「帝国」は前「帝国」からどのように台湾を引き継いだのか?これは、前「帝国」から後「帝国」への統治者交代の、コンティンジェンシーに満ちた「幕間」をどう把握するかという問いであり、歴史学が最も力を発揮する部分であろう。すでに(文字通り管見の範囲であるが)、(A)に関しては「劉銘傳の新政」、「台湾民主国」、後藤新平の「大調査」、「土地調査事業」といったトピックが論じられてきたし、(B)に関しては、周知のように二・二八事件研究に強い関心が払われ成果も出ている。ただ、(A)なら(A)の全期間を射程に入れかつ(B)をも展望する視座の本格的研究が待たれるところである。

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 かくして、ようやく、台湾歴史の「代わり/変わる帝国」のプロセスに具体的にアプローチする用語、諸帝国の世界史的性格(世界帝国、国民帝国、植民地無き帝国などなど)、「幕間」のコンティンジェンシーを概括していく「接収」と「社会制圧」、そして平時の国家権力の社会作動を見ていく概念としての「可視化プロジェクト」と「基礎行政能力」にたどり着いた。


(*)Scott, James, 1988, Seeing like a state: how certain schemes to improve the human conditionhave failed, New Heaven : Yale University Press;松岡格 2012 『台湾原住民社会の地方化 マイノリティの20世紀』、研文出版。Mann, Michael, 1984, “The autonomous powerof the state: its origins, mechanisms and results,” European Journal of Sociology, 25-2, pp.185-213;佐藤成基 2006 「国家の檻——マイケル・マンの国家論に関する若干の考察」、『社会志林』(法政大学社会学部)53-21940頁。

 @写真は、魏徳文氏編集の「台湾原住民分布図」。筆者の書斎にずっと架けてある。


by rlzz | 2018-10-21 11:45

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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