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帝国の「鑿」の二つの局面ver.2

周婉窈台湾歴史概念図再訪

 周婉窈の台湾歴史概念図「地理的空間で歴史的脈絡を定義する」(ブログ2「時は流れない、それは積み重なる」掲載、下に再掲)には、何度も立ち返らねばならない。といよりは、このブログは周図が語っている台湾歴史のメタ・レベルの啓示を幾重にも読みとっていこうとする試み、そこから「台湾という来歴」への視角を構築していこうとする試みとも言えるかもしれない。

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 現代台湾政治論の視点に立って、この図のアイデアが胚胎したであろう1990年代中頃の歴史研究と政治との関係を想定すると、周婉窈がこの図に付した名称は「地理的空間で台湾史を想像/創造する」と読み替えられるだろう。歴史家周婉窈が引いた2本の線分PP’QQ’には、さもなければその時代時代の帝国の地理的身体の中に埋もれてしまう地理的断片の重なりにすぎないものから、断固として「台湾」を切り出そうという強い意志が見て取れるからである。その「強い意志」とは、民主化とともに生まれてきた「市民的台湾ナショナリズム」に他ならない(若林、2017)。

 一方、地域研究的な「台湾という来歴」の視角の探究の視点に立つと、周図の啓発性は、歴史において「時間は流れない、それは積み重なる」という命題を図柄にしてみせた、つまり、この2本の線分を引くことによって、諸帝国の歴史が台湾という地域に積み重なっている、その歴史の構図を歴々と浮き彫りにしたことに見いだせるのである。

帝国の「鑿」の二つの局面

 「自由帳」では、周図からの啓発を得て、また呉叡人「諸帝国の断片」とフレーズからの啓示を得て、「諸帝国の周縁」という国家主体の視座からの基本命題に、「諸帝国の周縁を生き抜く」という非国家主体の視座を対峙させつつ、帝国の「網」と「鑿」の双方向から「台湾という来歴」の文脈を探る“方法的「帝国」主義”を提起した。

 帝国の「網」の視角構築の主たる作業は、台湾という地域にとっての世界史の再構成であるが、帝国の「鑿」の視角の作業とは、帝国の支配下/影響下の国家・社会関係のダイナミズムの把握である。一方、台湾歴史にとっての帝国は「交代する帝国」である。そこで、帝国の「鑿」の視角構築には、二つの局面を想定しなければならない。

 一つは、前帝国と後帝国が交代する、いわば「幕間」の局面である。前帝国の在台国家が消滅し、後帝国の在台国家が構築の緒につく。周図でいえば、四角形と四角形の間の線分の部分に当たる局面で、そこに生じる出来事が、以後の国家・社会関係のリセットとダイナミズムにどのような影響を与えているのかが考察されねばならない。「幕間」に、次の周縁ダイナミズムのあり方を規定する、いわば「初期値」が埋め込まれているかもしれないのである。それをみつけ、それに続く局面を考えていく手がかりを探らねばならない。

 もう一つの局面は、後帝国の在台国家が有効に構築されるとともに新たな国家・社会関係のダイナミズムがリセットされ、そして展開していく局面である。前帝国の支配下での周縁ダイナミズムが社会に残したところの帰結が縦の入力として発現し、そして後帝国のパワーが新たな横の入力として投射され、新たな周縁ダイナミズムのプロセスがリセットされるのである。周図で言えば、四角形の空間部分の展開に当たる。縦の入力と横の入力の間にはどのようなケミストリーが作用していくのかが探究される必要がある。

 具体的事例の提示は後のブログにまわし、まずはこの二つの局面の概要を書いてみたい。


「代わる帝国」の「幕間」————第一局面

 台湾にとっての、諸帝国の交代の「幕間」のコンティンジェンシーに富んだ局面については、さらに次の三つの局面、すなわち(A)戦争、(B)国家接収、および(C)社会制圧に着眼して、帝国交代とその幕間の歴史過程の、新たな周縁ダイナミズムにとっての意義を見出すべきであろう。

 (A)戦争:前帝国が後帝国に敗れ台湾の帰属が変更される戦争である。そのような戦争の発生とその意義は世界史の中で明らかになるべきものだから、その把握は“方法的「帝国」主義”の帝国の「網」の部分の課題でもあるが、ここで留意しておくべきは、結果として台湾の帰属が変更されたとしても、その帝国間戦争は、必ずしも全てが台湾をめぐる確執が起因となったわけでもなく、また台湾獲得が当初より目指されていたわけでもないことである。これらの違いが、「幕間」の過程の様態、さらには(B)(C)の過程にどのような影響をもたらしたのか、個別のケースから検討しなければならないだろう。

 (B)国家接収:戦争に勝利した後帝国から派遣された権力機構が、前帝国の在台国家を消滅させ、かつその在台国家の統治資源を掌握しようとする局面である。この場合、前帝国自身の台湾における組織的武装力は、戦争により消滅しているか無力化している、と原則的には考えることができる。戦争の様態や終わり方、さらには(C)社会制圧のあり方とも関連して、後帝国の在台国家が前帝国の在台機構からどれだけの、どのような統治資源を掌握=接収できるかが、ここでの課題である。

 (C)社会制圧:前帝国と後帝国の戦争の決着がつき、台湾が後帝国に帰属することが決まっても、その時に形成されていた台湾社会の諸要素が、そのことを知悉するのにはそれぞれに時差があるだろうし、また、その受け止め方は一様でなく、社会諸要素が一致して決定を受け入れるとは限らない。受け入れない要素の中には、後帝国が進駐させる権力機構に対して、組織的な武装抵抗を試みるものがあるかもしれない。後帝国は、これを制圧しなければ統治を確立することはできない。

 このプロセスは、実態面ではともかく、概念的には(A)戦争とは区別されねばならない。例えば、1895年日本軍が台湾に上陸してから、段階と性質を別して最終的には1902年まで続いた西部・東北部平原漢人地域における武装抵抗への鎮圧行動は社会制圧の範疇に入り、下関条約締結と批准書交換で終結している日清戦争とは区別しておくべきである。

 また、戦争の終結と踵を接して、また接収過程と並行して、社会制圧過程が必ず始まるとも限らない。戦争の終結の様態やその時の社会状態に応じて、後帝国の在台機構の設置がそれなり行われ行政が開始されてから、大規模反乱が生じて、その鎮圧無しには台湾統治そのものが成り立たない局面が出てくる。こうした反乱の鎮圧は、いわば「後付けの社会制圧」である。また、社会制圧展開時の社会の武装化の程度、社会制圧達成後の社会の非武装化の程度などにも注意が必要である。


国家・社会関係のリセットと展開————第二局面

 この局面については、三つの次元の異なる視点からアプローチしてみたい。三つの次元とは、①国家の制度、②社会掌握・流用制度の構築過程の次元、そして③社会掌握・流用の制度を通じて社会に作動する国家権力の社会作用の次元である。

 ①一つは、国家の制度の次元で、国家が社会を掌握しかつ社会から資源を流用(appropriate)する制度の次元である。国家は自身が生産者ではないから、社会から、また社会を通じて自然から、様々な財を取得しなければ、存続できない。それらの資源の安定的取得のためには、社会のどこに資源があるのかを把握し、その動態をモニターし、取得(流用)が行われ得るための治安を確保しなければならず、そのためにはしかるべき制度を構築しなければならない。つまり、国家は社会掌握のための行動をとり制度を構築する必要があり、それらの制度は、社会から財を安定的に流用する制度を含む必要がある。ある一定規模以上の国家において、最低限必要なのは、人籍・地籍掌握の制度、治安維持の制度、国家軍事・管理人員獲得の制度などであろう。

 ②二つ目は、これら社会掌握・流用制度の構築過程の次元への視点である。前記のように、国家は社会から必要な財を安定的に取得するためには、何らかの形で、流用の必要に応じて社会が見えていなければならない。見えないままの収奪は暴力の行使を必要とする場合が多く、長くは持続しえない。ゆえに、国家は社会の統治にあたって、社会を見えるようにするための行動をとる。これを可視化プロジェクトと呼んでおこう。国家は調査を行い、見えるようになった土地、人民を登録し、また社会の人文的様相を記録する。できれば、土地、人民、人文的様相の変動をもモニターし、その変化に極度に遅れることなく掌握できればのぞましい[この可視化プロジェクトのコンセプトは、J. Scott1988)とその議論を台湾山地先住民族への国家統治分析に応用した松岡格(2012)の議論より示唆を受けている]

 台湾の歴史上最も重要な可視化プロジェクトは、清末劉銘傳の「清賦」事業と日本植民地統治初期に後藤新平が主導した大規模な「台湾土地調査事業」とであろう。両者の可視化の精度と徹底度、推進主体、方法・手法、成果と社会掌握・流用制度構築への影響などを、比較対比することは、台湾近代史理解の中核的テーマの一つである(林文凱の一連の業績を参照)。両者の違いは、前近代世界帝国としての清帝国と近代国民帝国としての日本植民地帝国の違いを明確にし、したがって、それぞれの台湾における周縁ダイナミズムの意義をも浮き彫りにしてくれるであろう。

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 ③三つ目は、社会掌握・流用を通じて社会に作動する国家権力の社会作用の次元である。社会学者M. Mann (2004) によれば、political powerstate powerとほぼ同義、以下「国家権力」)には、二つの側面がある。一つは「専断的権力(despoticpower)」で、これは、国家エリートが社会集団との関係で、社会集団との間で制度化された経常的な交渉を行わずにとれる行動の幅で示される。もう一つは「基礎行政能力(infrastructural power)」である(powerは漢語で権力と能力の二つの意味を併せ持つので、ここでは能力と訳した黄樹仁の中文訳語をそのまま借用する)。これは国家が実際に社会に浸透してその政治的決定をその領域内に実施していく、国家の中心の能力である。言い換えれば、その政治的決定をロジスティックに実施できる能力、すなわち、その決定の実施に必要な人員・資材を動員して領域内の必要な場所・部門に適切に配置・編成して、その場に存在する国家の制度を(必要ならばそれを構築し)作動させる能力である。Mannはこれを「社会を通じる権力/能力」(power through society)とも表現している。

 この二つの側面は、国家権力の、相互に交差することのない異なった側面を捉えているものであるから、それぞれの強弱を組み合わせて、個別の国家権力の性格を捉えることができる。台湾における国家権力について、例えば、清帝国の州県制も日本国民帝国の植民地官僚機構(台湾総督府)も、専断的権力の側面ではたいへん強いものであったが、一方、基礎行政能力の面では、清帝国州県制はそれほどではなく、台湾総督府はしだいに強力で効果的な基礎行政能力の作動を期待できる諸制度を構築していったと評することができるだろう。

 なお、基礎行政能力はロジステックな能力であるから、その強さはおおむね交通・通信・運輸その他の技術的進歩の、あるいはそれらを導入する能力の函数であり、その強大化は基本的に不可逆的である。これに対して、専断的能力は必ずしも不可逆的ではない。例えば、戦後台湾の中華民国の国家が、専断的権力のみならず、日本が残した国家の社会基盤的制度を有効に引き継いで、その基礎行政能力の側面でも強化されたが、民主化を経て、その専断的権力は弱くなっている。その対極には、経済発展が「自由な中国」をもたらすという空しい期待に代わって登場した、超現代的な「デジタル権威主義体制」としての中華人民共和国の国家権力がある。

 それはともかく、Mannの基礎行政能力は「社会を通じて作動する」パワーであるから、社会に対して両義的な作用を有すると考えることができる。この点を、社会学者の佐藤成基(2006)は、Mannの議論を敷衍して、基礎行政能力は、(a)社会統合的作用と(b)社会紛争誘発的作用の二つの、切り離せずかつ相反する作用を有するとまとめている。国家エリートの決定を社会の末端においても実効的に実行する能力としての基礎行政能力が、ある国家制度を通じて作動すれば、その作動を通じて、基礎行政能力はしだいに多数の、また多種の社会要素をその制度との相互関係に巻き込むことになる。国家統治が安定し、基礎行政能力が有効に作動する領域(Mannのいうcivilian scope、佐藤訳は「民政管掌範囲」)が拡大していくことになればなおさらである。ここにおいて基礎行政能力は、それが作動する国家制度を通じて社会に対して統合的作用を有することになる。

 その統合作用は、一つには社会諸要素間に作用する。基礎行政能力としての国家権力が社会諸要素同士の関係を調整する能力を有するからである。さらには、それは領域統合的に作用する。すなわち、政治権力=国家権力が、その作動が必ずしも政治的領域に限定されるとは限らない経済パワーとはことなり、ある形で限定された地理的範囲で作動する権力であるから、この統合作用は国家領域(国家の地理的領域のある制度で区切られた範囲=行政区画でもよい)を統合する作用、領域統合作用を有することになるのである。

 その一方、国家制度を通じて基礎行政能力が作動し、また民政管掌範囲が拡大すれば、当然に国家との相互作用に入る住民の数は増大し、参入者の階級・階層や族群といった背景も多様化する。ある国家制度が社会に浸透して有効に作動すればするほど、その制度に利害関係を持つ人々は増加し、その制度のあり方や運営の仕方に「意見を持つ」人が増え、その「意見」も多様化するのは避けられない。人々は国家と争いはじめ、また参入者同士で争い始めるかもしれない。これが、基礎行政能力の社会紛争誘発作用である。国家制度をめぐる社会紛争は、その運用への苦情・陳情の類から始まり、しだいに誰が受益者たるべきか、誰がその運用に、あるいは運用方針決定に参加出来るのかといった、制度そのものにかかわる争点に及んでいくかもしれない。そして、とどのつまりは国家制度に関する最も基本的な紛争、つまり「代表なくして課税無し」のクリシェに表現される参政権の問題に紛争が凝縮されていくことになるかも知れないのである。

 そして、ここで例えば、その国家が植民地を保有していれば、国家は権利・義務の分配において属人的な格差を設けて、その住民を成層的に構成しているかもしれない。住民を成層的に組織する制度をめぐって、族群さらにはネイションの形成の契機が孕まれることになるかもしれない。

 とはいえ、基礎行政能力自体が弱い国家権力の下では、流用のための可視化の精度も低く、国家は社会の動態もあまり見えていない。それでも徴税や治安維持などでは社会と接点を持たざるを得ないが、社会との接点はせまく、社会動向を把握する触手も長くはない。そうすると、国家制度やその運用への不満(徴税や治安措置の不公平、管理資源投入の過小、管理者自身の腐敗と人民への苛斂誅求など)は、国家制度への参加の問題に向かって収斂していくのではなく、国家秩序への直接の反抗・反乱として勃発し、新たな社会制圧、「後付けの社会制圧」が必要となってしまうかもしれない。

 

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 ブログ10「台湾近代の『二つの初代』を背負った世代」で示唆したように、国家・社会関係のリセットと展開を考える枠組、とくに基礎行政能力の両義的作動という視点の有効性を検証し、「台湾という来歴」を構成するコンテキストを探っていくのに、比較的に適した国家の社会基盤的制度と考えられるのは、学校制度である。清帝国下の学校と日本植民地帝国下の学校の違いは何か?それぞれの学校制度において基礎行政能力の作用はどのようなものとして現れたのか?それぞれの時代の学校制度に対する「意見」は、参政権問題に繋がっていったのかどうか?繋がっていったとして国家と社会は「参政権」に関してどのような相互作用を展開していくことになるのか。これらを問うて見なければならないだろう。

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参考文献

Mann, Michael, 1984, “The autonomous power of the state:its origins, mechanisms and results,” EuropeanJournal of Sociology, 25-2, pp.185-213

Scott, James, 1988, Seeinglike a state: how certain schemes to improve the human condition have failed,New Heaven : Yale University Press

黄樹仁 2002 「台湾農村土地改革再省思」、『台湾社会研究季刊』47195-248

佐藤成基 2006 「国家の檻——マイケル・マンの国家論に関する若干の考察」、『社会志林』(法政大学社会学部)53-21940

松岡格 2012 『台湾原住民社会の地方化 マイノリティの20世紀』、研文出版

林文凱 2014 「晚清臺灣開山撫番事業新探:兼論十九世紀臺灣史的延續與轉型」、『漢學研究』第32卷第2期、139-174

林文凱2017 「臺灣近代統治合理性的形構:晚清劉銘傳與日治初期後藤新平土地改革的比較」、『臺灣史研究』、第24卷第4期、35-76

林文凱、2017、「臺灣「中央財政」體制的轉型:日治初期(1898-1905)後藤新平總督府財政改革之歷史意義」、『中央大學人文學報』、第63期、1-44頁。

林文凱 2018「晚清臺灣的財政:劉銘傳財政改革的歷史制度分析」,『臺大歷史學報』第61期、341-392

若林正丈2017「<研究動向>『台湾島史』から『諸帝国の断片』論へ——市民的ナショナリズムの台湾史観一瞥」、『思想』第1119号、85-96 


by rlzz | 2018-11-17 11:03

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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