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台湾にとっての諸帝国、その1

諸帝国の周縁

 何回もの言及になりやや気が引けるが、周婉窈概念図の1から5までの長方形を想起していただきたい。17世紀20年代にオランダ東インド会社が台湾南部に交易・軍事拠点を築き、ついで30年代に周辺の先住民族への武力制圧を開始し、台湾島の領域的統治に乗り出した。これが台湾島の地に「国家」といえるものの存在の魁であり、以後、鄭氏小王朝、清朝の州県制政府、日本の台湾総督府、中華民国台湾省行政長官公署・台湾省政府、中華民国中央政府が、この地における統治機構=国家として行動してきた。

 そして、これらの「国家」は、何らかの意義における「帝国」の一部、あるいはあるタイプの「帝国」の強い影響下にある国家であること、すなわち、「台湾は諸帝国の周縁である」こと、そしてこれらの積み重なる「諸帝国の周縁」としての経験の積み重なりが、われわれに「台湾とは何か」の問いへの接近の道を開示すべきものであること、これらが「台湾という履歴」への視角の基本命題であった。

 では、その「帝国」とは何か?盛行する「帝国」論をサーヴェイし、その上で理論的にも適切で史実とも適切に符合するコンセプトを独自に切り出せれば、それに越したことはない。しかし、残念ながら、本ブログ子には、その膨大な文献の森を跋渉し抜くだけの力はない。そしておそらく時間も無い。できるのは、これまでの研究途上で「出会った」帝国論から、ほとんど直感的に「これは行ける」と判断した議論を借用して「諸帝国の周縁」という命題を考察してみる事だけである。

 そこで、「諸帝国の周縁としての台湾」というテーマの骨格を、二つに分けて素描したい。まずは、台湾をその辺境・周縁に包摂してきた「帝国」には、「世界帝国」、「国民帝国」、「植民地無き帝国」ないし「インフォーマルな帝国」としてのアメリカ帝国システム、という三つの世界史的性格の異なる帝国があった/あるのだ、という議論をしてみたい。ここ(「台湾にとっての諸帝国、その1」)では、これらのコンセプトを概観する。

 ついで、オランダ東インド会社から台湾の中華民国まで、台湾が歴史時代に入ってからこの島に出現した国家と「帝国」との関係はどのようなものであったか、それを主として外形的な側面に着目して整理していく。「外形的な」とは、これらの「帝国」が台湾に統治機構を置いたとき、どの様な様態で存在していたのかの点、つまり、台湾を包摂したとき、その帝国はすでに確立していた、あるいは確立に向かっていた帝国であるのか、それとも、ほぼすでに帝国たりえない状況に陥っていたのか、はたまた、台湾にとっての帝国たらんとして力を高めている状態であるのか、にも留意したい(ブログ14に予定)。


「世界帝国」、「国民帝国」、「植民地無き帝国」/「インフォーマルな帝国」


 これら三種の帝国と台湾の関わりについては、ブログ子は、すでに論じたことがある。すなわち、前著『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』(東京大学出版会、2008年)では、台湾がこれら三つの世界史的性格のことなる帝国の周縁に位置づけられ包摂されて独特の発展を遂げてきたこと、そして「この複雑な歴史を持つ周縁を、台頭する中華人民共和国が自身に包摂せんと意欲を燃やしている」との展望を、現代台湾の政治構造変動=中華民国台湾化の展開を遠望する歴史的視座としたのであった(「世界帝国」と「国民帝国」については、山室信一の所論[山室、2003]により、アメリカ帝国については国際政治学者山本吉宣[山本、2006]に拠った)。


⑴世界帝国

 山室によれば、古典的な世界帝国とは、上帝から天命を得た天子、神から統治を委託された予言者、神の名代たる法王の権力と権威により、神や天の命令を代行して地上の世俗世界(天下)を治めるという宇宙論的観念に支えられた、多民族、多宗教、多文化からなる広域的政治社会である。

 その特色は三点に整理できる。第一は、その理念上、唯一・至上・普遍の存在と自己を想定することである。その外部には競合する他者を想定せず、また外縁としての境界線を引こうとはしない。そこに有り得るのは不断の拡張のダイナミズムが作動する帯状の辺境であり、辺縁には常に曖昧さがつきまとう。

 第二に、その最盛時における軍事的・経済的・文化的卓越性である。帝国はその卓越した軍事力およびその長距離遠征を可能にするロジスティクスの能力によりつぎつぎに版図を拡張する。そして、これらの行動は、至高の中心の普遍的権威や徳が一方的に周辺にむけて光披したものとして自己正統化される。

 第三に超越性である。世界帝国は、内部に相互に対抗する異質性を多様に内包しながらも、それらに対して超越的に統合することを志向する。それは、一面、内部の異質なものへの寛容であるが、逆に言えば異質なものや差異への鈍感さや不感症でもある。


⑵国民帝国

 一方、国民帝国とは、主権国家体系の下で国民国家の形態を採る本国(中核政治体)と異民族・遠隔支配地域から成る複数の政治空間(異法域:植民地)を統合していく統治形態をとる広域政治体である。

 古典的世界帝国と対比して、そして台湾近代史を考える際にも極めて重要な国民帝国の特質は、その原理的、実際的な複数性であり同型の政治体の間の競合性である。世界帝国が唯一性と超越性を原理的前提とするのとは異なり、国民帝国は同型の存在が他にも存在することを前提としこれらと一面競合しつつまた共存を図ろうとする。山室はこれを国民帝国の「競存体制」と呼ぶ。歴史過程としては、植民地支配を相互に認証しつつ、比較優位を求める覇権追求の競合過程が国民帝国を形成したのである。

 国民帝国の内部構造を見ると、それは相反する2つのベクトル(原理)の結合によって構成されている。一つは「格差原理」で、これは境界を越える資本と軍事という二つのパワーによって獲得した空間(植民地)を中核政治体とは異なる政治社会としてあくまで「外部」に留め置こうとするベクトルである。もう一方は、「統合原理」で、植民地を異法域としてその中核政治体の「外部」に留め置きつつも、なお同時に中核政治体の主権領域として「内部」化していくベクトルである。この相反したベクトルの管理のために、中核政治体と異法域の間には境界線が引かれる。これはもちろん国際法的境界線(国境線)ではないが、「統治地域との差異と階層性を示す優越線であるとともに(植民地よりの)抵抗の侵入の恐怖から本国を隔離するための防護線」である。

 したがって、植民地統治政策とは、このような優越線・防護線の管理運営政策であり、「格差原理」と「統合原理」のしかるべき組み合わせが、植民地現地の状況の理解や本国の政治・経済状況、さらには本国統治エリートの選好などを反映して決定され、そして変更される。例えば、フランスと日本などでは、統合原理と格差原理の組み合わせにおいて、本国のほうから植民地住民を「国民化」していく契機の強いもの、いわゆる「同化主義的植民政策」とされている。このうち、日本植民地主義について、Wu Rwei-Ren(呉叡人)は、これを「国民形成的植民地主義(nationalizing colonialism)」であると性格づけている。

 このように、国民帝国は、いわば「差別しながら統合する」という原理的矛盾を抱えており、当然ながら植民地の側に平等と対等の要求を生みだすのであり、このことが中核政治体(支配本国)と異法域(植民地)の境界を政治化する。それは、植民地とされた地域をネイション想像の範囲とする植民地ナショナリズムの形成に結びつくことが多い。そして、最終的には脱植民地化の展開に繋がる。だが、脱植民地化の後に形成される政治体は、それを支配した政治体と同型のもの、すなわち国民国家となり、脱植民地化は、国民国家システムの普遍化であり、地球規模の拡大となるのである。

 

⑶アメリカ帝国システム

 こうした脱植民地化の進展から国民国家システムが普遍化する世界史の趨勢のなかで、戦後のアメリカ帝国は、自身の国家の生い立ちとも関係して、その圧倒的パワーにもかかわらずそのパワーの行使に際して植民地保有を志向しなかった。あるいはおそらくそのパワーの強大さの故に逆にそれを必要としなかったという側面もあったといえるかもしれない。

 かくして、山本吉宣によれば、アメリカ帝国システムは、1次大戦以降の、新規植民地領有が正統性を持たなくなった時代の「インフォーマルな帝国」、「植民地無き帝国」である。中核国アメリカ合衆国自身、自由主義的価値体系を有し、主権平等を旨とする主権国家システムと資本主義経済システムとの共存を志向するが、その経済・軍事・価値の保有で圧倒的優勢(これが帝国システムの下部構造)を保持し、これを基盤にアメリカを中心とするハブ・スポーク状の同盟関係や軍事基地網(これらが帝国システムの上部構造)を構築し、これらを通じたパワーの投射を超広域に展開する能力を保有する。中核国自身、植民地を保有せず、他の主権国家の領土内に基地を借用することによってこれを行うので、「借地の帝国」とも「基地の帝国」とも形容される。

  アメリカ合衆国は、こうした上部構造を介して、システム内の政治体(国家)に対して非対称な影響力を行使するが、基本的には、相手国政府との合意の形をとってコントロールしようとするのであり、相手国のパワーや帝国との価値の共有の度合いなどで、帝国の行動には幅が出る。山本が挙げているのは、融合(パートナーシップ、相互の信頼、相互の透明性、社会の相互浸透)、相手国の変容促進、協力(時には独裁体制も支持)、直接統治(軍事介入の後の暫定的軍政)、および民主政治体制の強制的な移植などである。

  ただ、もちろん帝国のパワーは絶対的なものではない。対抗する帝国(ソ連)のパワーや同盟国(ex.西ドイツ、日本)の経済力の上昇、そして帝国システムそのものの過剰展開(ex.ベトナム戦争)のコスト増などで、下部構造としての圧倒的パワーの非対称性が減退することもある。そうした場合には、上部構造としての軍事基地網の縮小や行動の次元での「普通の大国」としてのパワー・バランス的外交方式などの対応を迫られる(ex. 1970年代初めの「米中接近」)。

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 1683年鄭氏を打倒し翌年台湾の版図編入を決定し、以後1895年まで二世紀余にわたって台湾を統治した清帝国が、近世世界の典型的な世界帝国であったことはいうまでもなかろう。

 また、その清帝国から日清講和条約により台湾島・澎湖諸島を割譲させ、半世紀にわたってこれを植民地統治した日本が、国民帝国の類型の属すること、また、1950年以後その実効統治領域をほぼ台湾のみに縮小させた中華民国の存在を支えたのが、アジアの冷戦体制の前哨基地の一つとして台湾を位置づけたアメリカ帝国のパワーであることも、多言を要しないであろう。

 では、清帝国の台湾統治に先立つオランダ東インド会社や鄭氏政権はどうなのか。戦後の中華民国そのものはいったい何なのか。アメリカ帝国のプレゼンスにますます対抗する姿勢と示している中華人民共和国とはいったい何なのか、前述のように、これらの問題も含めて、「台湾と諸帝国」というテーマについては、この後のブログで取り組んでいきたい。

参考文献

山室信一 2003「『国民帝国』論の射程」、山本有造編『帝国の研究――原理・類型・関係――』名古屋大学出版会、87-128

山本吉宣2006『「帝国」の国際政治学--冷戦後の国際システムとアメリカ』、東信堂


by rlzz | 2018-11-18 16:08

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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