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「中華民国台湾化」「七二年体制」は何時終わる?

 ブログ14で述べたように、ブログ子は「旧派」の台湾政治観察・研究者である。「旧派」とは、1980年代から20世紀いっぱいくらいまでの20年弱の台湾政治変動の密接観察を原体験とする研究者というくらいの意味である。
 ブログ子は、70年代以降重要性を増しつつあった各種選挙の実地観察や現地の人々との対話を重ねつつ、台湾政治の変化をなるべく概念的な用語と結びつけながら議論できるように努めた。ブログ子は学術的訓練において決して政治学者とは言えない(博論のタイトルは「台湾抗日運動史研究」)が、ある程度政治学的用語を用いて議論しなければ、目の前に見ている現象の意義は説明できないし、そのコンテキストの把握も弱くなり、書くものは時事解説の繰り返しになってしまう。
 そこで、動き始めた台湾の政治理解に役立ちそうな政治学や社会学の議論のにわか勉強を始めた。当時流行していた“transitionology”(権威主義政治体制から民主体制への移行論)やエスニシティ論、ナショナリズム論などである。幸いなことに、“transitionology”が言うところの、オポジションの圧力を受けた権威主義体制現職者の「前方への逃走」、権威主義体制のbreakthrough、さらには体制現職者が体制改革を決断したときのオポジションとの「円卓会議」や「協議」の作成、あるいは改革について現体制内の反発をかわすための「後退的正統化」といった用語が当てはまる状況が展開されていくのをまさに目の前にすることができた。
 かくして、ブログ子の最初の台湾政治研究専著『台湾 分裂国家と民主化』(1992年)が書かれ、さらに台湾の政治変動が政治体制次元のみとどまらないアイデンティティの政治の様相を呈していったことを踏まえて、二冊目の専著『台湾の政治 中華民国台湾化の戦後史』(2008年)を著された。振り返れば、両者とも、戦後台湾における政治体制レベルの変動が政治共同体レベルの変動にも連動することに着目した「二重の視角」を提示している。つまり、両者は研究対象を変更したのではなくて、台湾政治における現実の展開に引きずられて、同心円的に視野・視座を拡張していったものであることがわかる。
 こうして振り返ってみると、ブログ子が最近始めた試み、すなわち“方法的「帝国」主義”なるものを掲げて「台湾という来歴」を語ろうという試みは、何時の間にかこの同心円をさらに拡張しようとする試みになっていることがわかる。
 ここで言う同心円の拡張とは、「自由帳」のこれまでに言い方に従えば、目前の台湾という政治体の様態を直近の「中華民国台湾化の戦後史」という縦深において考察するのみならず、さらにこれに先立つ日本植民地帝国統治下の、さらには世界帝国としての清帝国統治下の台湾形成の過程(これらを「周縁ダイナミズム」と呼びたい)を、いわば「同時代史」のごとく観察しなおし、その「積み重なり」が描き出す図柄として把握する、それによって、「台湾とは何か」という地域研究としての台湾研究の原点的問いに応答することである。
 これは、2008年直近の事態に執筆時の意識をフォーカスさせて作り上げた「中華民国台湾化」という概念で把握したものを、前著上梓から10年を経た現時点で、「台湾という来歴」の中に「積み重ねた」ものとして、つまり、“アメリカ帝国システム+中華民国”の周縁ダイナミズムとして、相対化しないといけないということを意味する。 そうすると、ここに前著では明確に問うことのできなかった二種類の「終了」問題が真正面から登場してくる。
 一つは、中華民国台湾化の終了問題である。中華民国台湾化という構造変動は何時終わるのか、あるいはすでに終わっているのか、それとも停滞しているだけでモーメンタムはまだ失われていないのか、否、そもそも終わることができないでいるのか。そして、それぞれの状態をもたらしている要因とは何か。
 もう一つは、「七二年体制」の終了問題である。七二年体制とは、前著で中華民国台湾化の起動・展開の外部環境を把握する概念として提起したもので、1972年の米中上海コミュニケから82年の「八一七コミュニケ」に至る間に次第に定型化された台湾問題国際アレンジメントであり、その中核にあるのは、中華人民共和国の「一つの中国」原則とアメリカ帝国の「平和解決原則」の台湾問題における戦略的妥協である。このアレンジメントは依然存続しているといえるのか、それとも、もはや変質して原型を留めないかあるいはまもなくそうなるのか。それらの背景要因とは何か。
 そして、もちろん二つの終了問題は当然に連関するのだとすれば、どのように連関し、その連関は「台湾とは何か」にどのようなコンテキストを与えつつあるのか、といった問いも浮上することになる。 この数年で、台湾政治研究者にとっては、2014年のヒマワリ運動と2019年の「韓国瑜現象」という二つの、ベクトルの異なるウエイクアップコールがあった。
 前者に促されて、ブログ子は一つ目の終了問題には一定のリスポンスを行っている。今年の春発表の「馬英九政権8年の位置—中華民国台湾化における国家再編・国民再編の跛行性—」(松田康博・清水麗編著『現代台湾の政治経済と中台関係』晃洋書房)である(執筆は2016年中)。詳しくは論文そのものを見ていただくとして、この論文では、次の点を主張した。
 ①李登輝政権時の「二国論」改憲の挫折(1999年)と陳水扁政権時の「公民投票による憲法制定」の挫折(2003-04年)に見るように、中華民国台湾化は終了できない状況に陥っている。台湾の中華民国憲法体制は、増修条文も含めた憲法も文言に残存する(?)「一つの中国」の論理と台湾の有権者の意志のみを背景とし台湾においてのみ実際に運用される「台湾憲法」としての側面の両義性を持つが、この二人の「台湾派」総統は、この両義性を断ち切ろうとして、激しい外部圧力を受けて、挫折したのであった。馬英九政権は、この中華民国台湾化終了の試みの挫折のうえに成立した、台湾歴史における「憲法機会」(constitutional moment)の残骸の上に成立した政権である、と中華民国台湾化論からは位置づけることができる。
 ②中華民国台湾化起動前の戦後台湾国家が、「小国家大国民」の虚構を台湾社会に覆い被せていた、つまり、実効統治領域がほとんど台湾でしかない「小国家」が「全中国の代表」「正統中国国家」を標榜して、統治下国民に「大中国」の国家構造を担わせ、「中国大の国民」であると想像することを執拗に要求してきた。しかし、中華民国台湾化はこの虚構を一枚一枚はぎ取っていく過程であったから、それは「小国家小国民」への「台湾サイズ」の国民国家への再編、日本植民地統治期から形成の過程に入っていた「ネガ」としての国民形成の「ポジ」の「台湾国民」への読み替えの過程でもあった。しかし、国家の法的構造において、その最後の虚構を振り捨てることは米中両大国により禁じられたのであり、ここに国家再編と国民再編の跛行性が生じているのである。
 これはヒマワリ運動というウエイクアップコールとそれに続く蔡英文政権の成立という流れの中で考えたものである。「韓国瑜現象」というベクトルの異なるウエイクアップコールに直面して、これらの論点はなお維持できるだろうか。特に②はなお観察が必要であろう。
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 二つ目の七二年体制の終了問題にはまだ応答できそうにない。
 前述の李登輝と陳水扁の「終了の試み」に対しては、これを抑え込む米中協調が現出していた感があった。2003年12月訪中した温家宝中国首相を前に米ブッシュ大統領が、総統選キャンペーンにおける陳水扁の「公投制憲」の主張を念頭において「現状変更には反対する」と見得を切ったことは、「旧派」研究者にとってはいまだに生々しい。 その後、胡錦濤政権は、2005年連戦訪中を契機に「国共プラットフォーム」を実現して野党国民党抱き込みに成功した。以後、民進党の総統選挙大敗を経て、台湾政治は「92年コンセンサス」の政治に巻き込まれるとともに、中台の経済関係は拡大の一途をたどり、14年のヒマワリ運動の爆発を迎えたのであった。この間、オバマ政権は総じて中台関係の接近を台湾海峡情勢の緩和を示すものとして好感を持って静観したのであった。
 しかし、その後に成立したトランプ政権は、蔡英文政権の内部的挫折とは裏腹に、対中強硬姿勢を確立しつつある。その背景には、国交樹立以後オバマ政権までの「エンゲイジメント」政策が米国の期待とは相反する中国を生んでしまったとの米政界の広汎なコンセンサスがあると言われる。
 「韓国瑜現象」に現れたベクトルとアメリカ帝国の新しい対中スタンスのベクトルとは相反するものかもしれない。七二年体制はどうなっていくのだろうか、そして、台湾は何処へ行くのだろうか、さらには、台湾とは何だろうか、何になっていくのだろうか。 

by rlzz | 2018-12-09 11:10

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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