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もう一度「七二年体制」の「終わりの始まり」を考える

「原則」と「政策」
 米トランプ政権発足間もない昨(2017)年の春、台湾政治ウォッチャーの小笠原欣幸氏が「中国の『一つの中国原則』とアメリカの『一つの中国政策』とは異なる」と、両者を混同する傾向に注意を促した。歴代のアメリカ政府が台湾政策として標榜するのは「一つの中国政策」であり、「一つの中国原則」ではない。しかし、日本メディアに止まらず、米メディアでも、本元の台湾メディアでも長きにわたって両者の混同が散見されるというのである(「『一つの中国原則』と『一つの中国政策』の違い」『小笠原ホームページ』http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ogasawara/analysis/one_china_principle_and_policy.html)。
 小笠原氏の解説によると、中国の「一つの中国原則」とは、「①『世界で中国はただ一つである』、②『台湾は中国の不可分の一部である』、③『中華人民共和国は中国を代表する唯一の合法政府』であるという三段論法」である。これに対して、アメリカの「一つの中国政策」は、「①1972年,78年,82年の三つの米中コミュニケ,②1979年制定の『台湾関係法』,③1982年にレーガン大統領が台湾に対して表明した『六つの保証』から成り立」ち、中国の言う②「台湾は中国の不可分の一部である」を全面的に受け入れているわけではない。この点は中国の立場を「理解し尊重する」(日中共同声明)としている日本も同様である。
 したがって、メディアに時に見られる「アメリカが中国の一つの中国原則を受け入れた」といった記述は不正確であり、また「米の『一つの中国政策』を『中国と台湾がともに中国に属するという一つの中国政策』と書くことも中途半端であり、誤解を招く。少なくとも,『台湾は中国の一部だとする中国の立場に異論を唱えないが,台湾の安全には関与する』というのが米の『一つの中国政策』というような説明が必要である」と、小笠原氏は指摘する。

 「原則」と「原則」、「政策」と「政策」
 極めて明快な説明である。明快であるので、このように整理されて見ると、中国の「原則」に対して、アメリカの台湾政策には「原則」は無いのか、アメリカに「政策」があるのなら、中国に「政策」は無いのか、という形式張った疑問もふと湧いてくる。 思い返してみると、この点にはついては、ブログ子の「七二年体制」論が一応の解釈を試みている。それぞれに「原則」と「政策」があると説明できるのである。
 ブログ子の「中華民国台湾化」論では、七二年体制とは、1970年代初頭の米中接近以後に形成されたところの、台湾の政治体を国際社会としてどのように取り扱うかというアレンジメントの束であり、その背景となっているのは、中国の「中国内戦原則」とアメリカの「(台湾問題の)平和解決原則」の戦略的妥協である。
 中国共産党にとっては、中国国民党軍との内戦に勝利して樹立した中華人民共和国こそが世界において中国を代表すべき国家であり、国民党政権が逃げこんだ台湾に対しても当然に主権を有する。そして将来において何らかの国家的統一が実現すべきである。これが「中国内戦原則」であるが、中国政府が政治・外交的に主張する「一つの中国原則」を、ブログ子なりに「歴史的に」言い直すとこういう表現が可能である。「台湾問題は歴史が残した問題である」との趣旨の発言が中国のリーダーにしばしば見られるからである。
 アメリカの「平和解決原則」とは、台湾問題解決の帰結にはこだわらないが、上海コミュニケ、米中国交樹立コミュニケ、台湾関係法などに縷々書き込まれている文言が示すように、そのプロセスは平和でなければならない、とするものである。「一つの中国政策」はそのための「政策」である。アメリカは中華人民共和国が国際社会において中国を代表する正統性を認め、また「台湾は中国の一部だとする中国の立場に異論を唱えない」が、平和解決を担保するために「台湾の安全には関与する」、すなわち台湾関係法に規定する「防御性の武器を台湾人民に提供する」(第二條(b)-(5))政策を堅持するのである。 よく知られているように、台湾関係法第二條の(c)は人権条項(「この法律の如何なる条項も、人権に対する合衆国の関心、特に約1800万人民に達する台湾住民の人権に対する関心に反してはならない」)であり、上記第二條(b)-(5)と抱き合わせで、同法制定当時まだ長期戒厳令下にあった台湾政治の民主化を促す意義を有した。換言すれば、アメリカの「一つの中国政策」には、台湾の民主化奨励が含まれていた、さらに言えば、七二年体制はとりあえずは台湾の民主化を促す外部環境でもあったと言える。
 では、中国の「政策」とは何か。中国自身が看板「政策」として用いた言葉をあげれば、それは米中国交と同時に発動された「祖国の平和統一政策」であろう。アメリカと異なり、ここでは「平和」は「原則」ではない。中国は「台湾問題は内政問題である」として、アメリカが要求する台湾問題での「武力の不行使」の表明を、1950年代の米中会談時期から一貫して拒否してきた。米中国交樹立時およびそれ以後も同様である。
 よく知られているように、「祖国の平和統一政策」は、経済や人の往来の推進、「一国家二制度」という統一後の国家制度の提唱、平和統一推進のための国民党との再度の合作の提案などを主たる内容としているが、これらは中国の台湾政策の一部分にすぎない。この他に、諸外国や国際機関が台湾の中華民国に国家性を認めるような行動を阻止していく「外交闘争」、そして何よりもアメリカの台湾海峡地域における軍事コミットメントを無効にできるような軍事力の建設がある。

戦略的利益と価値としての「原則」
 「中国内戦原則」(「一つの中国原則」)といい、「平和解決原則」といい、ここで言う「原則」とは、米中二つの帝国的大国の戦略的利益と価値を反映している。中国にとって、台湾の統一の先には、その海洋戦略上の大きな利益が見込まれるし、またそれは中国ナショナリズムの価値観にもかなうものである。チベット、新疆の確保などともに台湾統一達成が中国の「核心的利益」とされる所以である。
 また、「植民地無き帝国」として西太平洋地域にもプレゼンスと利害とを持つアメリカにとっては台湾海峡の平和=台湾海峡秩序の現状維持こそが戦略的利益にかなう。また、その影響下に、台湾政治の民主化のみならず、中国の「改革と開放」が進み、西側との交流を広め深めることで、中国の自由主義的改革が期待できるかもしれないことは、その国家的価値観にも沿うことがらでもあった。

七二年体制の「終わりの始まり」? 
 こうして考えてみると、否、七二年体制を中国の「中国内戦原則」とアメリカの「平和解決原則」の戦略的妥協の上に成り立つと定式化したときから、すでに論理的にそうなのであるが、両者の妥協が成り立ちにくくなる、崩れてくる時に、七二年体制の終わりの始まりとなるのであろう。そして「原則」での妥協が困難となれば「政策」もそれに応じて変わるのが道理であろう。
 過去の台湾の国際身分を変更した戦争の多くがそうであったように、米中の間に武力衝突が発生するにしても、それは必ずしも台湾を直接に争奪するかたちをとるとは限らない。しかし、米中関係がその他の側面で協調・競存から対峙・対抗の局面に移行すれば、台湾問題に関する妥協も、さまざまな形で維持できなくなる可能性が増す。その時七二年体制も終焉を迎える。そして、新しいアレンジメントの束が形成されるまで、コンティンジェンシーに満ちたものになるであろう過渡期が始まる。

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 近年、習近平政権は、国家主席任期制限を取り消し、言論の引き締めや社会監視のシステムを「デジタル権威主義」と称されるレベルに上げようと試み、その「シャープ・パワー」で世界的影響力を拡げんとしつつある。アメリカのエスタブリッシュメントは、これらをもって40年近くにわたる「改革と開放」の中国への「エンゲイジメント」が失敗に終わったと認識した、それを背景にトランプ政権は、中国への対抗措置を強めつつある、といった観測がしきりである。それもあってか、アメリカの知的エリートの一部は、米中は「ツキジデスの罠」に陥り戦争に至るのを避けよ、と警告するに至っている。
 先のブログで、ブログ子は、「中華民国台湾化」が終了不能に陥っていることについて触れた。台湾歴史の得がたい「憲法機会」は消え去った。それどころか、ポピュリズムの派手は振る舞いと装いの中に、権威主義的な振る舞いの復辟の現象さえ散見するとの報道にも接するようになった。七二年体制は、政治体制の民主化を中核とする「中華民国台湾化」を一面はぐくむ外部環境でありながら、一面それを抑制し一定程度以上の進行を阻止する国際アレンジメントであった。このことは陳水扁政権の挫折ですでに明白となっている。馬英九政権も蔡英文政権も、台湾島の南北2大都市に「開化した」ポピュリズムも、このことを前提にしている。 
 今、われわれは七二年体制の「終わりの始まり」を目撃しているのだろうか。  

by rlzz | 2018-12-16 13:05

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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