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「ナショナリズム政党制」は何処へ?

また再びのウエイクアップコール

昨年11月以来いろいろなことがあって、「台湾研究自由帳」を始めたそもそもの動機である「諸帝国の周縁」論(「台湾という履歴」への視角論)が、なかなか書き続けられない。

そのいろいろな事の中心は、言うまでもなく11月の台湾地方統一選挙である。この選挙における「韓国瑜現象」と民進党大敗は、2014年の「ヒマワリ運動」に次ぐ、私にとってのウエイクアップコールであった。台湾政治の現状分析から撤退して久しいとはいえ、自身のそれまでの議論の立て方に見直しを迫るものを感じざるを得ず、気になってしまう。そんなわけで、前著『台湾の政治』の中核的把握である「中華民国台湾化」と「七二年体制」の「終焉」について、あれこれ云々するブログを二回ほど書いた(“「中華民国台湾化」と「七二年体制」は何時終わる?“および”もう一度「七二年体制」の「終わりの始まり」を考える“)

去る125日、早稲田大学台湾研究所と日本台湾学会の共催でワークショップ「2018年台湾統一地方選挙の分析」が開催された。報告者はもちろん小笠原欣幸(東京外国語大学,早稲田大学台湾研究所招聘研究員)氏で、コメンテーターは松田康博(東京大学東洋文化研究所)氏という日本ではこれ以上ない顔ぶれであった。

私は当日司会を務めさせていただいたが、短いジョークの他は会の進行に関連することしか述べなかった。確かに時間はおしていたが、「司会の特権」というのはあるのだから、述べなかったというよりは述べることが出来なかったのである。両氏の打ち出す、近い過去と近い将来についての複雑な方程式をその場で理解し反応するのは無理であった。

それでも、それから二晩たって、ふと一つの感想に至った。「中華民国台湾化」や「七二年体制」の「終焉」ばかりではない、「ナショナリズム政党制」の終焉あるいは轉型というポイントも今やしっかりと見つめるべき秋に至っているのではないか。

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台湾の中華民国における「ナショナリズム政党制」

ここでもまた手がかりは自分の過去の議論である。中華民国台湾化論の「七二年体制」論の他の柱の1つに「ナショナリズム政党制」論というのがある。簡単に述べると、それは次のような議論である。自らも「正統中国国家」であることを建前とした台湾の中華民国は、1970年代から始めにかけて国際的地位を失い、非承認国家の地位に甘んじていくこととなった。その台湾の中華民国を国際社会に位置づけるアレンジメントの束が「七二年体制」である。「党外」と称された台湾独特のオポジションが成長していったのは、この「七二年体制」の形成過程と重なっていた。その「党外」およびその後身の民進党が、政治的自由と民主化の要求とともに、「台湾前途の住民自決」、さらには「台湾独立」を掲げて、国民党一党支配に対抗するようになった。台湾の政治体制の民主化はその存在を民進党として公認し体制内に包摂する形で進められたのであった。

その間の政党対抗の局面を、イデオロギーに焦点を当てて見れば、中国国民党ヴァージョンの中国ナショナリズムが民進党の台湾ナショナリズムの挑戦を受けて、体制教義の地位を失って、複数政党政治システムの一極を占める1つのイデオロギーとなってしまった。だが、消滅はしなかった。故に、民主体制の重要要素である複数政党システムは、この2つの対抗をイデオロギー的対抗軸するものとなった。これが「ナショナリズム政党制」という議論である。

実際には、1993年国民党から反李登輝の「新党」が分裂して以来、台湾ナショナリズムvs.中国ナショナリズムの対抗軸上にポジションを取りながら、主として国民党の分裂により小政党の形成と衰退を繰り返しながら、総統選挙を軸に「藍緑」の二大勢力対抗が定型化してきたのであった。


「七二年体制」の中のナショナリズム政党制

ナショナリズムとは、様々な社会思想に無原則に癒着したり、またそれに様々なコンテキストの感情なり思想なりが付着したりするものではあるが、基本的には、そもそもの政治共同体のありかた(その地理的範囲やメンバーシップ)にかかわるイデオロギーである。2つのナショナリズムの対抗は、歴史の現実においては様々な決着の付き方/付け方があろうが、そのイデオロギー対抗のパターンは、突き詰めれば植民地独立のそれであるといって良いだろう。

中国ナショナリズムと台湾ナショナリズムはそれぞれ異なった地理的範囲とメンバーシップを想像し、かつそれぞれの異なった共同体の来歴を想像/創造する。突き詰めれば植民地独立戦争/領土併合戦争になるはずの2つのナショナリズムの対抗が、民主化期以来台湾という土地で平和的に展開しえていたのである。この原理的に共存し得ないはずの2つのナショナリズムが新生の民主政体の中で共存できていたのは、台湾の中華民国という政治体が「七二年体制」のなかで事実上の独立を保つことが出来ているからに他ならない。

しかし、先のブログでも確認したように、この「七二年体制」の中では、この政治体は、自身の国家性について自身で決着を付けることができない状況に置かれている(「中華民国台湾化」の法的終了過程を始めようとして李登輝と陳水扁の挫折)。「七二年体制」のロジックの下では、帝国としてのアメリカが、台湾関係法で自分に付与した台湾防衛の権利(台湾問題の、台湾住民に受け入れ可能で平和的な解決の担保としの)の行使の可能性が確かであるか、あるいは十分に確からしければ、この事実上の独立は維持できるが、その確かさが失われれば、「台湾問題」は事実においても「中国の内政問題」、つまりは主権国家をメンバーとする国際システムにおいては、究極的には台湾を煮ても焼いても他国は口を出せない、アガンベン流に言えば、台湾はいわば「ホモサケル」(聖なる人)としてその「剥き出しの生」を国際社会に曝さねばならなくなる。


二大政党の賞味期限切れの果てには何が待つ?

 台湾併呑の意思を隠さず、かつまたその能力構築に励んでいる中華人民共和国という大国が隣にある限り、その中国との関係をどうするのか、ということは、台湾政治のいわば「最大の公共政策」であり続ける。別言すれば、台湾が一個の政治共同体であり続ける限り、2つのナショナリズムはつねにどこかで刺激され続け、時にポピュリスティックな選挙動員の源泉ともなってきた。

その一方、一般に民主体制下の選挙では、有権者の多数は多くの場合両極対抗においては中間派である。中華民国台湾化の進展はこの中間派にも影響はあり、総統選挙の挙行とともに、一方の極の台湾ナショナリズムには与さないがしかし「台湾」には帰属感を持つ「台湾アイデンティティ」の有権者の大きなかたまりが誕生した、これまでの総統選挙は、この「台湾アイデンティティ」有権者のとりあいのゲームだったというのが、小笠原欣幸氏の見立てである(例えば、同氏「台湾政治概説--民主化・台湾化の政治変動」、「小笠原ホームページ」所収)。

 「ナショナリズム政党制」の議論のほうに引き寄せてその含意を探るならば、新生民主体制の二大政党は、2つのナショナリズムの示すアイデンティティの中間(「台湾アイデンティティ」)にウィングを伸ばしながら、社会経済的アジェンダについてはキャッチ・オール・パーティにならざるを得ず、台湾政党政治全体として、非アイデンティティ問題/非統独問題のアジェンダを有効に政策パッケージに組み立てて、ナショナリズムとは別の対抗軸をも有効に設定する努力が削がれてきたのではないかという見立てとなるだろう。

 そして、こうした状況が多年にわたれば、新たな世代の有権者の参入もあり、実は既成の二大政党の、有権者支持獲得・保持の体力を削ぐことになっていたのはないだろうか。近年発表される世論調査では、国民党も民進党の二大政党のいずれも支持しないという有権者の比率が両政党支持の合計に近いという状況が続いている。二大政党の、さらに両者の対抗というシステムの「賞味期限」には明確に疑問府がつくようになっているのである。馬英九政権二期目の馬英九・王金平闘争、「ヒマワリ運動」、「柯文哲現象」、民進党の「完全執政」の実現、「韓国瑜現象」と民進党の大敗、という一連の流れは、このことを示している。その流れの衝撃が先に国民党に襲い、後に民進党を襲ったというシークエンスだったことが、国民党のマージナルな人物であった韓国瑜のポピュリスティックなキャンペーンの成功で明白となったのである。

 国民党と民進党との対抗を軸とする二大政党システムは、「中華民国台湾化」の政治を担ってきた政党であり、今日も、おそらく予想しえる将来も、この二党が依然として台湾政治の重要プレーヤーではある可能性が高いのではあるが、しかし、その「賞味期限切れ」が近づいているとすれば、台湾の政党政治は何処にいくのだろうか。直近では約一年後に総統選挙が迫っている。すでに11月地方選挙の直後から、様々な候補の組み合わせが取り沙汰されている。前述のワークショップにおいても、松田康博氏からその推論の組み立て方も含めて議論があった。それは、政党自身の論理、政治家やその取り巻きの論理、内外環境の論理の複雑な方程式であるらしい。

 かくして、国民党vs.民進党の「ナショナリズム政党制」は弱体化しているのだが、かといって、台湾政治にとっての「最大の公共政策」のアジェンダ、つまり、民主化期以降の台湾政治を2つのナショナリズムの対抗の場にしてしまったような歴史のベクトルが消え去っていくわけではない。既成二大政党システムを組み替えるということになれば、「非承認国家」という薄い防御幕しかもたない台湾の政治共同体は、中華人民共和国という新興帝国の「鑿」の前に、「七二年体制」の中での民主化過程で構築してきた政党政治という自身の保護膜・結集点を、少なくとも一瞬は失い、その一瞬の間は、さらにいっそうホモサケル的な「剥き出しの生」を曝すことになるのかもしれない。台湾の有権者にとっての「自立と繁栄のディレンマ」(松田康博氏)、「麺麭と愛情のディレンマ」(呉乃徳氏)の過酷な現実である。

 しかし、そのようなオミーナスな展望も兆してくるような状況の中で、台湾研究者にとって今更乍らに胸に浮かぶ問いは、そのような「生」を持つことになった「台湾」という政治生命体は何時、どのように誕生したのか、という問いである。


by rlzz | 2019-01-27 11:41

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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