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「原稿は農作物」

 川添愛という人の「生産者の顔が見える原稿」というエッセイを読んだ(『UP』582号、2021年4月)。
 著者は言語学者らしいが、大学・研究機関に所属しているのではなくて文筆で暮らしを立てているらしい。その著者が文章を書き続ける生産の現場を(多分)少しだけ明かした文章である。
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 著者曰く「原稿は農作物」である。原稿は「書けば出来上がる人工物ではなく、植えて育てる自然物」なのだそうである。
 わたしは、昨年春定年退職してからは、頼まれた原稿を書く、義理原稿を書く、ときたまのオンライン講義などをするのが生活の中心なので、経済的には年金生活者ではあるが、川添氏と似た生活内容になっている。ゆえにこの言葉は身にしみる。何か「ありがたい」という気さえする。
 定年教授のお気楽な文筆生活である。もちろん世間はそう思っている。そうではあるのだが、短い文章あり、長編論文あり、ちょっとは気の利いたことを言わねばならない序文あり、聞き手の息づかいもわからない国境の向こうの人たちを相手にするオンラインの講演・講義であったり、その度に焦点を構成しなおし、意識を集中しなければならない。始めて見るとけっこうしんどいのである。現役のバリバリの中堅と肩を並べなければならない時はもっとしんどい。
 「原稿は農作物」であるから、「土壌」と「種」が必要である。
 「土壌」とは体力と気力である。「種」はもちろん「ネタ」である。
 院生の頃は、重くて誇りっぽい資料の新聞綴りなどを抱えて図書館の階段を上り下りしながら、研究とは体力勝負と見つけたり、と思ったものだが、最近は机とPCに一定時間向かっているコンディションを作るだけでも、いろいろ工夫が必要となっている。朝起きて腹さえ満ちていれば机に向かって数時間、などというはもはや夢のまた夢。
 いろいろと研究した末、最近はラジオ体操第一が一番良いとわかった。机に向かう前に一回、ちょっと集中力が落ちたなと思ったらもう一回、今日はこれで閉め、というときにもう一回。
 コンディションづくりでは、気力の維持のほうが難しい。COVID=19で人に会えない。生の会話を交わすのが家人一人というのは、生活には問題無いが、物書きとしては苦しい。刺激を求めて時にオンラインの研究会などに顔を出したりするのだが、やはり研究会というのは友人の顔を見て雑談をしてナンボということに慣れてしまったので、報告と質疑応答が終わって、ワン・クリックでハイさよおならというのは、どうも何も残らないような気もする。
 書いていて行き詰まったり、そこまで書いたものが死ぬほどつまらないものに見えた時にどうするか。川添氏によれば、「1.にげる、2.たたかう 3.しらべる 4.やすむ」の四つの選択肢があるという。1.から4.まで全部漢字をあえて使わないのは、言語学者の何かの用意があるのかもしれないが、私にはわからない。
 

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1.などはわたしの脳裏にはしょっちゅう浮かんでくる選択肢で、しかし、逃げてはいけない、などとも思うものだから、自分はもう鬱の入口にいるのではと余計に苦しむ。
 著者によれば、1.も戦略的にはありだそうだが、おすすめは、2.だそうである。これはもう少し粘るということである。それでも進まなければ、「しらべる」に進む。これは農業でいえば、必要な養分を補うということに相当する。時間があれば、「やすむ」もおすすめだそうだ。まあ、年金生活のにわか文筆家には、これが一番よさそうだ。
 実は、出版社の広報誌は風呂で読むことにしている。なるほどと思って風呂場から書斎まで持ってきた文章はこれまで幾つかあるが、それをネタに雑文を書いたのは初めてだ。
 さて、しかし、今の生活にたいへん参考になるとおもって張り切っては見たのだが、今気がついた。注文はもうあと二つしか残っていない。
 にわか文筆家は2年もたたずに店じまいかな。
 
 

by rlzz | 2021-04-08 07:22

台湾研究者若林正丈のブログです。台湾研究についてのアイデアや思いつきを、あのなつかしい「自由帳」の雰囲気を励みにして綴っていきたいと思います。


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