孤蓬萬里の孤愁
2024年 04月 01日
大岡信『精選 折々のうた 中』朝日新聞社(2007年)より引く。作者は「本名呉建堂、1926年台北生まれ。医師。剣道八段」と大岡の紹介がある。
私は先著『台湾の歴史』(2008年)で同じ作者の「君は陸我は海へと憧れて君は戦死し我は異国人」を引き、「大正生まれ」は人生の肝心のところで戦争に出会い、20世紀アジアの激動に出会う、戦後台湾人の日本語文芸作品は、台湾島の人々が生きざるを得なかった近現代の地政学をまざまざと語っている、として、戦後台湾政治史の激動を語る導入としたことがある。日本でも有名な台湾人、李登輝や彭明敏といった人々も「大正生まれ」である(ともに1923年生まれ)。
大岡のアンソロジーは、「万葉の流れ」の歌の次に「夏帽のへこみやすきを膝にのせてわが放浪はバスになじみき」という寺山修司の歌の載せている。歌は偶然に隣り合っているが、寺山は孤蓬萬里を知る由も無かったであろう。私も大岡の朝日夕刊のコラム「折々のうた」での紹介を目にするまで知らなかった。実は、1970年代初め台湾研究を始めた頃台湾文学史研究を始めていた河原功さんから、台北には俳句や短歌を詠み合っている台湾本省人のグループがあることを教えていただいてはいたが、その時はそれだけであった。
偶然だが今呉氏のこの歌を読み返すと、そこに台湾近現代史の激動をその身に引き受けてきた世代の感慨を見出すというだけでは不十分だった気がする。呉建堂氏の歌は歌そのものもさりながら、その筆名に悲しみがある。呉建堂の悲しみは、ポストコロニアルの台湾人の孤独の悲しみであり、孤愁であると思う。そしてそのそこには構造的健忘症におちいった「帝国の民」への文学的な、見事に文学的な抗議が潜んでいるような気もする。誇張して言えば、台湾人のポストコロニアルの絶唱である。
孤蓬萬里=呉建堂氏には一度だけお会いしたことがある。1995年台北郊外の士林国民小学校の100周年紀念の集まりで紹介されたのだった。ちなみにこの年に100周年を迎える小学校はこの学校しかない。呉氏は剣道八段の剣豪である。中背のがっしりした体格に日に焼けた精悍な顔つきの紳士であった。
読み過ぎのブログひねれば春や来る(磯野新残日録駄句篇より)
by rlzz
| 2024-04-01 06:41